前に義経さんと厳罰がどうこう言う話をしたのですが、こないだのここが変だよ日
本人を見てなるほどな、と思うことがありました。
少年達が、「罰せられるのならやめるだろう」と言っていることなんですよね。
結局、善・悪の判断はすべて法律にゆだねられた方がわかりやすいのでしょうか?
本来は、学校・家庭・地域・社会が道徳的な事を少年少女に教えていき、その判断
に基づいて・・・というのが正論でしょう。だから、この間は厳罰反対の立場をと
りました。かなりの理想論が入っているのを承知で。
しかし、やっぱり刑法で定めるのが単純明瞭、善悪の区別がつくのですね。
「犯罪した方が、されるより得な社会は危険」
理論的にはわかっているけど、割り切れないのがホンネです。
やっぱり、善悪をみんなが理解していかないと、社会は荒むと思いますから。
ただ、昨今新聞を賑わせているような少年事件、もはや別次元でしょう。
人を傷つけることと自分が傷つけられること、それを同列に理解できないようにな
ってしまわないことには、ああいう行動はとれないと思います。
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